八重山日記 <2009年01月17日 与那国島(クブラバリ)>
※お客様の観光計画のご参考に・・・・・。
与那国島のクブラバリの碑文を読むととても悲しくなります。「琉球王府による人頭税により、人口制限のため村々の妊婦を集め、岩の割れ目を飛ばせた」とあります。この割れ目を必死に飛んだ島の妊婦さんたちはどんな気持ちだったでしょう。また、島の人たちはどんな気持ちで飛ばさせたのでしょう。そして、このことを知った琉球王府の人たちは何を思ったのでしょうか・・・。
1609年に薩摩藩主島津義久は琉球王国を支配下におくため百隻の軍船と三千人の兵士を沖縄に派遣し戦火を交えた後、首里城を落としました。(琉球征伐) その後、島津は莫大な物量税を首里王府に命じ、琉球王府は島津の命令を果たすため、宮古・八重山諸島と、久米島の住民にその上納を課したとのことです。大和人はクブラバリ等々のことを知り、何かを思う必要がなかったのでしょうか。