石垣島の宿泊 貸別荘 コンドミニアム Hills Yamabare

   

八重山日記  <2010年01月28日~30日 宮古島>

※宮古島は八重山のお隣の島、お客様の観光計画のご参考に・・・

 宮古島に行って来ました。宮古列島(①参照)は八重山列島とお隣同志、両者は南西諸島の先島諸島の中の列島です。宮古島は“Hills Yamabare”の有る石垣島の行き帰りに寄ることが可能です。

[1月28日]宮古島到着後まずは腹ごしらえということで、“みやこパラダイス”で“雪塩手作り豆腐(②)”ランチを体験しました。程好い塩味と滑らかな舌触りがGOODでした。“蝶々園”では蝶が乱舞し、“おおごまだら(③)”の蛹は金色に輝いていました。宮古島は高い山が無いため降雨時の赤土流出が少なく、海が大変きれいと聞いていましたが、確かに“東平安名崎(④)”の海はライトブルーでどこまでも澄んでいました。宮古島ならではの“地下ダム(⑤)”では自然環境と利水を両立させる知恵に関心しました。“イムギャーマリンガーデン”を覗き、“ムイガー断崖(⑥)”で眺望し、明治時代の宮古人のドイツ難破船救助をゆかりとしたテーマパーク“うえのドイツ文化村(⑦)”のちょっと淋しい外観を見ました。

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[1月29日]  “仲宗根豊見親の墓(⑧)”にお参りしました。琉球諸島は15世紀末八重山統一を目指した八重山の“オヤケ赤蜂”が沖縄本島の尚円王とその配下の宮古の仲宗根豊見に“オヤケ赤蜂の乱”として滅ぼされたという歴史を持っています。“人頭税石(⑨)”を見ました。15歳で背丈がこの石(143cm)以上になると男女に関わらず課税が義務付けられたとの伝承が残っていますが、実際はこの石は人頭税とは関係ないものらしく、当時の過酷さを伝える象徴として今まで残ったとされています。先島の人々が“オヤケ赤蜂の乱”以降、忍従して来た苦しさと、戦わず平和を守り続けた素晴らしさと強さを感じさせられました。“宮古伝統工芸品センター(⑩)”で宮古上布の展示と製作作業を見ました。石垣島のミンサー織より糸が細く細かい作業に感心しました。これが徳川幕府・薩摩の支配下にあった時代、献上布として納められ、年貢の粟から布の品質・反数に応じて差し引かれたとのことです。池間大橋付近からは平らな宮古島とは対照的に海からそびえ立つ感じの“大神島(⑪)”が見えました。“西平安名埼(⑫)”で眺望し、“池間大橋(⑬)”を渡り、池間島の“池間湿原(⑭)”で野鳥観察をしました。“雪塩製塩所”を見学し“雪塩顔パック(⑮)”も体験しました。“島尻マングローブ林(⑯)”の遊歩道を歩き、宮古島のビーチの中でも特に有名な“砂山ビーチ(⑰)”を歩きました。あちこちに“桜(⑱)”が咲いていました。

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[1月29日夕方~30日午前] 宮古島でも特に美しいと言われている“前浜ビーチ”のホテルでちょっとリゾート体験しました。29日夕方からの、曇天中“サンセットクルーズ(⑲)”は90分オリオンビールと泡盛(多良川5年物)飲み放題・おつまみ付で、海と風と三線とゆっくり流れる時間を堪能出来ました。30日昼前のプールと海での“寒中水泳(⑳)”チャレンジは、天気予報で気温22度・たぶん水温も22度位の中結構気持ち良く出来ました。泳いでいるのは私だけでした。

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[1月30日] “来間大橋(22)”を渡り来間島の“竜宮展望台(21)”で眺望しました。来間島の“長間浜(23)”も静かなビーチでした。フェリー“はやて(24)”でレンタカーごと“伊良部島”に渡りました。2012年度の開通を目指して工事中の“伊良部大橋(25)”が見えました。“牧山展望台(25)”には“伊良部大橋のパネル”が有りました。“渡口の浜(26)”も綺麗な浜でした。“佐和田の浜(27)”は“明和の津波”で海底から運ばれてきた一面の“津波石(大岩)”で埋め尽くされた特異な景観でした。JALの旅客機が訓練飛行で繰り返し離着陸の練習に励んでいました。ダイビングスポットとしても有名な“通り池(28)”とその周辺を散策し、鳥が飛び立つ形の展望台の有る“フナウサギバナタ(29)”の眺望を楽しみました。

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