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八重山日記  <2011年06月01日  東北へ行って来ました。>

 神奈川災害ボランティアネットワーク主催“かながわ東日本大震災被災地支援ボランティアバスで(HP→クリック)”東松島市に“津波泥かき”に行って来ました。東松島市は石巻から東に約10kmに位置し、東日本大震災の死者行方不明者は1,295人、同市全人口当たりの死者行方不明者3%強と、市全人口当たりの死者行方不明者に於いては隣の石巻市に近い大きな犠牲が出た地域です。(5月29日時点警視庁東日本大震災死者行方不明者資料による)

 横浜を5月31日夜9時に夜行バス2台で出発、6月1日朝に細菌やアスベスト対策を意識したゴーグル・微細塵対応マスク・安全長靴・厚ゴム手袋等々を着装しました。5チームに分けられ、私の入った30名のチームは、建設中仮設住宅隣の既存児童公園の“津波ヘドロ”撤去作業がミッションとなりました。ここは本震の47分後に津波がスーと静かに1階床上1m位まで押し寄せた地域だそうです。津波が引くとヘドロが残され、3カ月経った今は5cm程度の土様の層をなしていました。これは海臭い匂いを放ち、乾くと粉塵となって飛散するため、近々仮設住宅に入居する子供たちが、児童公園で遊ぶ時の健康上、撤去が必要と理解しました。表層を平スコップで腰を入れてそぎ取る作業は、後数日で還暦を迎える私にとってはかなりきついものとなりました。でも、メンバーの60%が女性の中、弱音を吐かずに最後までなんとか作業を全うしました。

 児童公園と仮設住宅周辺の家々は3カ月を経て、室内はほぼ復旧を完了している様に見えました。綺麗に片付いた部屋の畳上1m位の障子に津波跡の線が残っている家も有りました。仮設住宅脇の藤棚の藤の花が、津波と塩害に耐え、おそらく去年と同じ見事な房をたたえていました。

 昼休みに10分程海の方向に歩くと、瓦礫を荒く撤去したまでの田んぼが広がっていて、遠くに港湾クレーンと陸に打ち上げられた船が見えました。この田んぼに次に田植えをするまでの、これからの遠い道のりに思いを馳せました。

 私たちのチームが出した1日の作業分、800袋のヘドロを詰めた土嚢の最終処分地は未定とのこと、先の田んぼからすぐの瓦礫・ヘドロの仮置き場も満杯間近に見えました。仮置き場の向こうに見えるのはたぶん自衛隊基地のアンテナではないでしょうか?ボディーに“災害救援車”と書かれた自衛隊のジープがパトロールをしていました。今後共、気の遠くなる位長い期間、あらゆる方面からの支援が必要なことを肌で感じました。そしてボランティア活動も無理せず・出来る時に・出来る事を・やれるだけ続けて行ければと思いました。

 必ず近い将来起こると言われている、三浦半島沖を震源とした関東大震災の再来や東海地震・東南海地震・南海地震等々、首都圏以南の地域が中心被害地となる大震災の時は、その過密さ故に、過酷な状況が想定されています。被災者と救援者の比率も東日本大震災とは全く異なります。60歳の私はともあれ、孫子のためにも、今から何か私の地元相模原でも出来る事が無いかと考えました。

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