石垣島の宿泊 貸別荘 コンドミニアム Hills Yamabare

八重山日記  <2019年06月16日 石垣島の津波大石(うふいし)と人魚のお話(=_=)> 

    ※お客様の観光計画と防災のご参考に・・・・・

 石垣島の大浜の公園には“津波大石(うふいし)”と呼ばれる、天然記念物で1000tにも及ぶ大きな大きなサンゴ礁の塊である岩が有ります。 1771年の“明和の大津波”で海底から打ち上げられたもので、この大津波で先島諸島で1万2千人が犠牲になったとのことです。 また最近の研究でこの地域の大津波は600年に一度の間隔で起きていることが分かったそうです。 さほど激しい地震の揺れでは無いのに、海底の斜面を堆積物の地滑りが起き、それで遡上高40mを超える大津波が石垣島や他の島々の東海岸に襲いかかったというこの地域の大津波は、地震の揺れを感じた時の避難判断をする上で、本州太平洋沿岸の津波とはまた違った恐ろしさを認識する必要が有ります。

 宮良湾には大小様々のたくさんの津波石を見ることが出来ます。 下の宮良湾のフォトは“赤馬(あかんま)の像”付近から干潮時に宮良湾の津波石を望んだものです。(木の伐採状況でここから海が眺望できない年もあります)

石垣島 津波 大石 うふいし大浜 被害 白保宮良湾 あかんま 赤馬の像

 今年の7月に私一族で“Hills Yamabare”泊で石垣島渡航をすることになっていて、4人の孫達に津波の理解を深めてもらうために、石垣島の津波の絵本をNETで探したところ、「人魚と大津波のはなし」(文:よしざわ ふみこさん 絵:いそざき ちかさん)がヒットしました。 2009年初版で、現在の販売サイトは見つかりませんでしたが、相模原市立相模大野図書館で探して頂いたところ、神奈川県内では箱根町にのみ蔵書が有るとのことで、取り寄せて頂き借りることが出来ました。!(^^)!

人魚 大津波 絵本 図書館 箱根町

 そのあらすじは・・・。( *´艸`) 石垣島の小さな村で・・。 3人の漁師が漁で美しい人魚を網で獲り、村に持ち帰ろうとしたらその人魚が泣きだし・・。 可哀そうに思った漁師達がその人魚を海に返したところ・・。 人魚が村をすぐに津波が襲うという秘密を教えてくれて・・。 漁師たちは自分の村の人達を近くの山に避難させ・・。 隣村にも人魚の秘密の言葉を伝えましたが、隣村には聞き入れてもらえず・・。

人魚 あらすじ つなみ 被害 助ける 助かる

 その夕方に巨大津波が島を襲い・・。 3人の漁師の村人達が山の上から見下ろす中、隣村の人々が津波にさらわれてしまい・・。 津波が去った後、3人の漁師の村人達は何も残っていない村の再建に励み、その教訓を決して忘れず語り継いだ・・。 というお話でした。

津波 600年周期 被害 地滑 堆積物

 首里王府への報告書では「津波は午前8時頃から3波にわたり石垣島を襲い、宮良村での遡上高は85.4m(最近の科学的見地では遡上高は海抜30~45m)、八重山全体での犠牲者は人口の1/3の9313人、宮古でも海抜30mまで津波が遡上し犠牲者は2548人。」となっていて・・。 その後も「疫病が蔓延して八重山の人口は半分にまで減り、壊滅した村を再建するため波照間・黒島・小浜島。西表島の百姓を移住させ村づくりをした。」となっているとのことです。

 明和の大津波からの600年後は西暦2300年頃になります。 私は勿論いません。 今の文明が残っているかどうも分かりません・・・。 百人一首は千年位前からの和歌だそうですが・・・、寂しい話です・・・・。 でも、何としてでもこの津波の話は未来に向かって語り継がなければなりません。 そして備えなければなりません・・・。 避難初動に生かさねばなりません。 若い皆様には伝承のご協力を宜しくお願い致します。 そして、人魚さん達もまた宜しくお願いいたします。<(_ _)>

 “Hills Yamabare”の床のレベルは海抜約20mです。 石垣島の北側でしかも平久保崎に守られて、明和の大津波の洗礼を“山原(やまばれ)”の大地は受けていないと考えます。  つまり、“Hills Yamabare”で寝ているときは安全地帯にいるとお考え下さい。

 でも・・・、大津波や人魚の話を知り、もっと危険で、宿命的で、頻度も高い、駿河沖・東海沖・南海トラフ・その他地震等々に対する備えも、私を含めた全ての人が怠らないことを祈って止みません。

Hillsyamabare ヒルズヤマバレ ひるずやまばれ 標高20m 津波