石垣島の宿泊 貸別荘 コンドミニアム Hills Yamabare

 

八重山日記  <2017年05月22日 石垣港に停泊中の海上自衛隊ミサイル護衛艦>

 “鳩間島”から“石垣港”へ戻ると海上自衛隊の艦船が“サザンゲートブリッジ”を渡った埠頭に停泊していました。インターネットで調べると、それは“ミサイル護衛艦”の様でした。 沖縄本島は太平洋戦争時に前戦地として悲惨な過去を持っていますが、石垣島も(鳩間島も)多くの島民が苦難と死を受け入れさせられました。石垣島はじめ八重山諸島は米軍艦隊が素通りしましたので、その島民の苦難と死は米軍戦闘機からの数少ない八重山諸島への爆撃や銃撃を除き、主に旧日本軍によりもたらされました。 今回、石垣島をレンタカーで回ると「自衛隊駐屯反対」と書かれたのぼり旗が目につきました。そんな過去を知る人々による活動なのかな?とも思いました。

 話は少しだけ飛びますが、私の住んでいる神奈川県相模原市相模大野の辺りは、厚木軍基地の戦闘機等の騒音被害が有り、防衛省から補助を受けての住宅防音工事対象地域ともなっています。 座間基地も近く、米軍住宅のフェンスまでは私の自宅から歩いて約50mです。その米軍住宅内ではアメリカの住居表示が勝手にされています。 北朝鮮のミサイルの照準は今私の自宅近くに向いているかも知れません。 日本は憲法第九条で永遠に戦争を放棄した国です。しかし、人間の歴史をほんの少しでも紐解けば、戦争(=侵略と防衛)の歴史が絶え間無く続きます。また、繁栄する文明は奴隷や隷属させられた人々がその裏で支えて来ました。 防衛力無しの平和と繁栄は、残念ながら現実的では無いということなのでしょう。 

 八重山の歴史に戻りますと、それは宮古と琉球王朝の歴史とからみ、後に薩摩藩の歴史とからみます。 八重山は“オヤケアカハチの乱”の敗戦を最後に(太平洋戦争敗戦後の日本国と同じ様に、でもそれよりもとても長い間)不戦を実践しながら生き抜いて来ました。 “あかんまの話”や“あさどやゆんたの話”や与那国島の“クラブバリ”・“のろし”や島々への“人頭税”等から・・・、その不戦の中で耐えるすべを知ることが出来たら、またその中での八重山の人々の高いライフオブクオリティー(人生を大切して生きるすべ)を知ることが出来たら、また世界中人々が不戦を長く続けている八重山のことを知り、自らの中の人類の本質の何かを変えることが出来たとしたら・・・、なんと素晴らしいことでしょう。

 地球環境破壊や温暖化や海面上昇や人口爆発的増加や全世界の生活エネルギー高消費化は、間違いなく世界戦争への道を近くしているのでしょう。 アメリカは今、愚かな民主主義で、愚かなリーダーを擁し、パリ協定離脱をはじめ、愚かな道を突き進み始めています。 中国は軍備を増強しアメリカと肩を並べ様としています。 そしてロシアは・・・。 ヨーロッパも含めたポピュリズムの行方は・・・。 キリスト教とイスラム教の摩擦の行方は・・・。 次の大戦が起きたら、核兵器が使われるのでしょうか。 その戦争で数多くの原発が暴発するのでしょうか。 不戦とはなんと悩ましい誓いなのでしょう。 また不戦を前提とし防衛するすべはなんと悩ましいことなのでしょうか。 また人とはなんと悩ましいものなのでしょうか。

石垣港 海上自衛隊 ミサイル護衛艦