石垣島の宿泊 貸別荘 コンドミニアム Hills Yamabare

八重山日記  <2019年03月17日~“Hills Yamabare”と五島列島(^^)/> 

    ※五島列島は“八重山”では有りませんが・・・。

 五島列島に行って来ました。 五島列島は勿論“Hills Yamabare”のある“八重山”では有りません。 五島列島は長崎の西に有り“Hills Yamabare”の有る八重山諸島は本土(九州の鹿児島)から沖縄本島への約2倍の距離の南西に有ります。 五島列島と八重山諸島の似ている所を考えてみました・・・。

①.共に日本本土から離れた群島であること。 よって、本土からは航空機または船で行かなければならないこと。 五島列島へは長崎・佐世保からの定期船便と長崎・福岡からの定期航空機便が有ります。 八重山諸島への本土からの定期船便はかなり前に無くなり定期航空機便のみとなってしまいましたが・・・。

②.共に日本の国境に近い島を持っていること。 五島列島が日本最西端で韓国に近く(一番韓国に近いのは対馬だそうですが)、八重山諸島の波照間島が日本最南端で与那国島が台湾に近いということ。

③.共に世界遺産に関係していること。 五島列島を含む地域と文化が世界遺産(潜伏キリシタン関連遺産)になり、八重山諸島の西表島を含む地域が来年に世界遺産(自然遺産)に申請されるということ。

④.共に迫害を受けた歴史を持っていること。 五島列島へは豊臣秀吉の禁教令に始まり→潜伏キリシタンの一揆(島原の乱)で潜伏キリシタンが移住、開国後宣教師に信仰を告白し(信徒発見)→明治6年禁教高札の撤廃がされるまでまたそれ以降も尚キリシタンは様々な迫害を受けたということ。 八重山は薩摩藩又は琉球王朝に悪税といわれる人頭税をかけられ、またその厳しさからか与那国島の口減らしの為に妊婦を集めて崖を跳ばせたといわれる“久部良(クラブ)バリ”や与那国島の男達に突然のろしで招集をかけ制限時間までに集合出来なかった者を殺すという“人升田(トゥングダ)”等の悲事が有ったこと。

⑤.共に海が綺麗だということ。 五島列島はサンゴ礁では無いのに、海と貝の砕けた白浜は素晴らしく美しく、八重山はサンゴ礁の素晴らしい海と珊瑚の砕けた素晴らしい白浜であること。

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 相模大野駅を朝5時発のリムジンバスに乗り→羽田空港から飛行機で長崎空港へ飛び→長崎空港から五島 福江空港へANAとORC(オリエンタルエアブリッジ)の共同運航便で飛びました。 機材はカナダのボンバルディア機でかなり小さいプロペラ機でした。 前に石垣空港から与那国島の空港へ飛んだ時もこの飛行機でした。

カナダ ボンバルディア プロペラ機

 五島 福江空港から福江港へは時間短縮のためタクシーで走り→福江港から現地ツアー“五島列島キリシタン物語~久賀島・奈留島編~(午後)”で定期船(シーガル)に乗り福江島を後にして久賀島へ・・・。 なんと今日のツアーは私達2人だけの貸切とのこと!専属ガイドさんと3名での出発となりました。

福江湊 定期 船 

 久賀島の浜脇教会は旧五輪協会を移築してそこに建てたとのこと。 昼食場所では桜の花が出迎えてくれました。

浜脇教会 五輪協会移築後

 カトリック牢屋の窄殉教記念聖堂は、1868年(明治元年)で久賀島内の信徒たちが捕らえられ残酷な責め苦を受け、五島におけるキリシタン弾圧のきっかけともなった出来事の場所とのことでした。 かれらは自らキリスト教(カトリック)の信仰を表明したために捕らえられたもので、12畳ほどの狭い牢に200名あまりが押し込められ(これは畳1枚あたり17人という狭さで、横になることもできず、排泄もその場にしなければならないという想像を絶する惨状だったとのこと)、信徒たちは8ヵ月にわたりこの状況を耐えしのびましたが、飢えや病、拷問のために30名が死亡し、出牢後の死者3名を加えると42名の信徒が命を落としたとのこと。  現在の建物内には200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた牢屋の広さがひと目でわかるように線で広さが示され、それがかれらの苦しみを雄弁に物語り、正面にある塔『信仰之礎』には、入牢させられたキリシタンたち190人の霊名と名前が刻まれていました。

カトリック 牢屋 記念聖堂

 旧五輪教会堂は、浜脇教会の建て替えを機に、五輪地区が譲り受て移築したものとのことでした。

旧五輪協会

 海上タクシーで久賀島を後にし奈留島に移動しました。 海上タクシーは定期船の無い時間・区間の島から島への移動時に無くてはならない足とのことでした。 

 江上天主堂は、緑の木々の間からのぞく白い壁、窓がブルーの外観でした。 建物の構造は湿気を避けるために床を高くし、柱には手描きの木目模様、窓には花を描いた透明ガラスなどが特徴で、内部は本格的な立面構成の三廊式、リブ・ヴォールト天井(蝙蝠(こうもり)天井)の美しい曲線が、人々の祈りの空間をあたたかく包むと言われる教会でした。

江上天主堂 海上タクシー

 奈留島から福江島へ海上タクシーで戻り半日現地ツアーは終了しました。

 ホテルチェックイン後、常灯鼻まで歩きました。 これは建設当時海城だった福江城(石田城)築城時に波を和らげるため作った防波堤の石積先端に灯台灯火を灯すために作られたものとのことでした。

福江 港 灯台 常灯鼻

 2日目は福江島の1日定期観光バスツアーにしました。

 まずは井持浦教会へ・・。 ここにはルルドが有りました。 ルルド (Lourdes)はフランスにあるコミューン(自治体)の名前でそこは1858年にルルドの聖母の出現以来カトリックの巡礼地となり、約6万人の患者や病人を含む毎年600万人の巡礼者や観光客を迎え入れている所とのこと・・・。 フランスのルルドの泉を模して作った井持浦教会のルルドの現在水は井戸を掘り、そこにフランスのルルドの聖水を入れたとのことで、蛇口をひねってその聖水入り井戸水をコップで飲むことが出来ました。

井持浦教会 ルルド フランス

 大瀬崎断崖はその上に建つ灯台を一際引き立てていました。

 高浜ビーチは白い砂とコバルトの海の水が美しく、夏には海水浴客で賑わうとのことでした。

大瀬崎 断崖 灯台 高浜ビーチ コバルト 海 白砂 浜

 バスツアーは午前午後に分かれていて、昼は出発終着地でもある福江港ターミナルで下車自由昼食となりました。 昼食後の時間を活用して五島観光歴史資料館と福江城(石田城)五島氏庭園に行きました。 この城は日本で最後に造られたもので、外国の侵略から日本を守るために幕府に許可を得たものとのことでした。

資料館 石田城 福江城 五島氏 庭園

 堂浦天主堂は五島に初めて建てられ、十六聖人の一人ヨハネ五島を記念して創立された天主堂とのこと、堂前には十字架にかけられたヨハネ五島の像が有り赤レンガのゴシック様式天主堂内にはヨハネ五島の聖骨をはじめキリスト教弾圧時代の資料が展示されていました。

堂浦天主堂 ヨハネ五島

 鎧瀬(あぶんぜ)溶岩海岸は鬼岳の溶岩が海に到達して出来た海岸とのこと。 鬼岳は伊豆の大室山と同じ毎年山焼きをしている円錐台形(鎧瀬側から見ると)の火山で福江のシンボル的存在とか・・。

 バスツアーは1962年の福江大火で焼け残った武家屋敷通りを通り終了となりました。

 3日目の朝、福江港ターミナルの日の出を見て→福江教会へ行き→バスで五島 福江空港へ行き→長崎空港へと飛びました。

鎧瀬 海岸 溶岩 鬼岳 武家屋敷通り 

 長崎空港でレンタカーを借り出し→佐世保のハウステンボスへ・・・。 ハウステンボスはオープン当初に3度行ったことが有りますが、その後経営破綻→HISにより再生を果たし→現在快進撃を続けるハウステンボス・・・。 “Hills Yamabare”の運営を通し観光・旅行業の一端を担う???私としても現在のハウステンボスのそのノウハウを見ておきたかったのです。( *´艸`)

 ハウステンボスのチューリップは花盛り! 昔からの建物・アトラクション・店・お土産品と、全く新しいエリアと既存エリア内の新しい建物・アトラクション・店・お土産品と工夫が溢れていました。

ハウステンボス チューリップ 新エリア 既存建物恐竜 VRトリックアートカナル VR

 ホテルはハウステンボスオフィシャルホテルの一つの“変なホテル”にしました。 フロントはロボットのみで無人でした。 歓迎演奏もスマホロボット楽隊が・・・。 コンビニも無人でスマート会計、部屋のドアのキーカードはチェックイン時に1枚出てきますが部屋のドア脇のカメラで顔認証をすれば次からは2人ともキーカード無しでドア脇のカメラに向かいドアロックを解除出来るようになるとのことでした。 部屋からフロントへの連絡は部屋に備え付けてあるスマホで出来る様で、それには海外通話も自由無料と書いたありました。(外国からの旅行者にとっては凄く嬉しいサービスですね(^v^)) フロントへの電話にはロボットでは無く普通の人間が対応してくれる様で、翌日朝食のレストランも普通の人間がサービスしてくれていました。( ^^) _U~~

オフィシャルホテル 変なホテル ロボット スマホ楽隊

 部屋で一休みした後、夜景を見にまたハウステンボス園内に戻りました。 イルミネーションで飾られた園内は昼間とはまた違った世界になっていました。 ドムトールンの上からは園全体が見渡せました。 夜景を堪能した後、変なホテルへ戻りました。

ハウステンボス イルミネーションイルミネーション ハウステンボス影絵 チョコレート夜景 ドムトールン 変なホテル

 旅行の最終日の4日目の朝、園隣接の豪華ホテルや豪邸風建築を見てレンタカーでハウステンボスを後にしました。

ハウステンボス 豪邸 マンション

 佐世保の九十九島を展望台から見て、日本で唯一の電気推進観光船の“みらい”で九十九島を巡りました。

九十九島 展望台 菜の花みらい 電気推進船 海賊船 九十九島 観光

 レンタカーで長崎空港へ戻り→羽田空港へ飛び→お利口にお留守番をしていた我が家の愛犬“まめ太”くんに再会!!!。 まめちゃんへのお土産は“長崎御犬カステラ”でした。!(^^)!

まめ太 まめちゃん 長崎 御犬カステラ

 まめ太は“ドッグ ハギー”の星川ホスト様宅でお留守番していたのでした。 “24時間(愛犬と)いっしょというキャッチのドッグ ハギーですが。星川様は何時も1日1~2通の写真付きメールと日毎のリポート(うんちおしっこの回数・食事完食報告・お散歩時間・おやつ回数明記)でまめちゃんの様子を手に取る様に報告して下さいます。 今回もお母様、お嬢様、ご子息家族、星川様の愛犬リリちゃん・愛猫ララちゃんに歓待して頂き、薬師池公園にお花見にまで連れて行って頂いたとのことで、まめちゃんのバカンスみたいなお留守番の日々となりました。

ドギーハグ 星川さん まめ太 お花見まめ太 リラックス バカンスマメちゃん 御留守番マメ太 お花見マメ バカンス 

 ガイドさんに勧められた、潜伏キリシタンを描いた作品・遠藤周作さん原作のDVD“サイレンス(沈黙)”を借りて見ました。 とても重たい作品で見た後、暫く家内と私2人で落ち込んでしまいました。 この作品で描かれている拷問や処刑はフィクションではなく史実に基づいていると思います。 

 昨年の日曜大河ドラマ“せごどん”で徳川慶喜が薩長に最後まで戦わずに逃げた時の理由を「フランスに援軍を頼んだら薩摩をフランスの領地(植民地)にという要求があったから」と言う場面を記憶していますが、明治になっても日本が欧米に植民地として狙われていたのは史実だと思います。 他国が植民地化された時の経緯を勉強したことは有りませんが、まずキリスト教宣教師が入り→その後経済・軍事力で植民地化していったのではないでしょうか? 豊臣秀吉の出した禁教令に始まるキリシタンへの弾圧が無ければ日本は植民地時代を経験して歴史が変わっていた可能性があると思います。

 1609年の薩摩の琉球侵攻が無ければ、今八重山が日本で有ることはあり得ないと思われます。当然 “Hills Yamabare”も建っていなかったと思います。 しかし、今後永遠に平和で有っての “Hills Yamabare”であることを思い知らされます。

沈黙 サイレンス キリシタン 迫害